今回は2011年にとある事情で芸能界を引退した、島田紳助(しまだしんすけ)の芸能界引退理由や近年と2019年の現在の生活や2020年芸能界復帰の可能性などについてスポットライトをあてていきたい思います。
2011年に突如芸能界を引退をして紳助は今はいったいどこで何をしているのでしょうか?
紳助の過去と2019年現在と復帰の可能性などを画像を混ぜて紹介していきたいと思います。
皆さんこんにちは!
今回は当時のお笑い界を牽引するレジェンドとしてその不動の地位を確立した芸人と言っても過言ではないほど、類まれなる話術と才能を持った芸人でありタレントの「島田紳助」
今回はそんな彼の2011年に芸能界を引退するきっかけになった騒動のことや今現在何をしているのかという近況などをまとめていきたいと思います。
島田紳助のプロフィール
島田紳助 本名:長谷川 公彦〔はせがわ きみひこ〕、生年月日は1956年3月24日 2019年現在63歳、京都市南区生まれ、血液型はAB型、身長170cmです。
島田洋之介・今喜多代の内弟子だった紳助がポストB&Bを狙って
松本竜介 本名:松本 稔〔まつもと みのる〕を誘い、1976年にコンビ「紳助・竜介」を結成。竜介は紳助にとって3番目の相方で、同期の明石家さんまの紹介によるものだったそうです。
ただ、当時一緒に漫才コンビを結成してつっこみ役をしていた相方の竜介さんは2006年4月1日に49歳の若さで亡くなっています。死因は脳幹出血だったそうです。
亡くなった当時はコンビも解消していて、芸能活動休止後に風俗レポーター、風俗案内所の所長をしていて、風俗案内所の勤務中に「頭が痛い」と倒れてそのまま世をさりました。
余談ですが、竜介が亡くなる数か月前に紳助とコンビ復活し50歳になったら舞台で漫才をする約束をしており、新たな衣装もすでに用意していたそうです。
島田紳助のデビュー当初
当時の2人の漫才の芸風はリーゼントヘアにつなぎの作業着という当時の不良少年ファッションスタイルで演じる「ツッパリ漫才」を考案しデビューして人気がありました。
漫才コンビ「紳助・竜介」結成当時↓
島田紳助のデビュー前↓
全然余談になるのですが、右の画像の紳助が着てるのは40年ほど前に当時大流行していたダウンのジャンパーのブランド、てかてかした素材に白地の生地のダウンが人気で、かなり装着率も高かった
「Liberty Bell」(リバティベル)のジャンパーじゃないでしょうか!?
実は小学生だった私も着ていました(笑)
左の画像は持ってるの木刀ですかね?ガチですね(笑)
島田紳助の主な略歴と絶頂期
島田紳助が世に出るきっかけは漫才ブームの時代に漫才コンビ「紳助・竜介」ですでに人気者でしたが、むしろ島田紳助の名前を世に知らしめたのは漫才ブームが終わってからしばらくして、さまざまなTV番組などで司会業を始めてからだったのではないでしょうか?
芸能界を引退する前の十数年ほどの期間は、「芸能界の帝王」と呼ばれていたこともあり
お笑いBIG3に入ってもおかしくないのでは?と思えるほどの人を引き付ける話術があったと思います。おそらく当時のBIG3と呼ばれていた、「北野武」「明石家さんま」「たもり」この「たもり」よりも面白いと思っていた方も少なくないと思います。
今の若い世代の人たちにはわからないかもしれませんが、CMにも数多く出演していて、紳助をテレビで見ない日はなかったほどの人気でどの局からもひっぱりだこだったと思います。
芸能界を引退する直前の段階でも6本もの番組の司会を務めるほどの超大物で、今では年末恒例となった番組「M1グランプリ」を企画したのも紳助です。
実際にもしも芸能界を引退していなければ、今も「M1グランプリ」で松本人志の隣で審査員をしていたのではないでしょうか?
島田紳助が起こした騒動と引退の理由
紳助は数回にわたり芸能界で騒動を引き起こしていますが、
まず取り上げたいのは結構有名だった話題の
お笑いグループの「東京03」騒動からです。
この騒動はテレビ番組の収録中に紳助が、お笑いグループの「東京03」に対して激怒し、
胸ぐらを掴んだ事件です。
この事件は10年ほど前にTBS系のバラエティ特番「オールスター感謝祭」の生放送中に起きました。
スタジオ中央にてサーカス団シルクドソレイユがパフォーマンスしていた際に東京03と紳助が揉み合っているかのような様子が背景に映り込んでいたのです。
さすがに暴力沙汰にまでは至っていないようですが、番組関係者によると今にも殴り掛かりそうな勢いだったそうです。
騒動の背景は「東京03」側が収録に入る前に挨拶に来なかったり、収録中にやる気のない態度が露呈していたのが原因だったそうですが、その後の番組打ち上げにおいてお互い仲直りしていたそうです。
次にあげるのは、女性マネージャー暴行事件です。
2004年10月25日、朝日放送社内でのことだったのですが、紳助に対して勝谷誠彦氏の女性マネージャー(当時40歳)の挨拶が気に入らないという理由で、別室に呼び出し暴行した騒動です。
紳助は女性マネージャーを別室に呼び、全身に傷が残るほどの暴行をしたそうです。
女性マネージャー側は、「局内の部屋に連れていかれた時にドアにぶつかり背中を打撲して足も捻挫、それから紳助が部屋に鍵をかけて彼女の頭を拳でガンガンと4,5発以上思いっきり殴った」と語っています。
それでも怒りは収まらず、女性マネージャーの髪をわしづかみして壁に4,5回たたきつけて怒鳴りながら顔にツバを吐きつけたそうです。
この女性マネージャーはこの時のことが原因で重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ってしまい、2006年6月に休職期間を満了後退職扱いとなりました。
紳助は1000万円を超える障害賠償請求をされたとされていますが、
詳細は、この暴行事件により大阪簡易裁判所から罰金30万円の略式命令が下され有罪が確定。
その後、損害賠償請求で裁判となり1045万円の賠償命令が下りましたが、最終的に東京高等裁判所で和解が成立しています。
今でもこの女性マネージャーは心に大きなダメージを受けているとされているそうですが
ことの発端は、女性マネージャーが紳助の尊敬していた会社の社長や先輩芸人を呼び捨てで話していたことを注意しても反省の態度が見られなかったことや、
常日頃から大御所の芸人さん達にも、「やれるもんならやってみろ!」「訴えてやる!」などと言っていたらしく、この辺にも問題があったようですが、
紳助は当時のテレビカメラに向かって「100対0で僕が悪いです。」と取材に応じていました。
もしかすると素直に女性マネージャーが謝罪していれば、ここまでの事件には発展していなかったかもしれませんが、所属事務所の吉本興業は同年11月4日まで紳助を謹慎処分としましたが、本人は芸能活動自粛期間の無期限延期を表明していました。
次にあげたいのが紳助の引退につながる騒動です。
島田紳助が起こした騒動と引退の理由(つづき)
2011年8月23日19時頃、所属する吉本興業から「島田紳助に関する緊急記者会見開催」がマスコミ各社に通知され、事務所社長から紳助が引退する旨の発表が行われました。
引退理由は、紳助と暴力団関係者との交際が発覚し、けじめを付けるための自らの引退であるとしてました。
紳助はあらかじめ軽い言い方で申し訳ないと前置きしながらも
・「僕の中では『この程度』なんです。頻繁に密着しているわけではない。『この程度』でも引退になるんだと、後輩に同じ過ちを繰り返させたくない」
・「自分の中ではセーフと思っていたが、芸能界のルールとしてはアウトだった(指摘されるまで気づかなかった)」
と記者会見で50分ほどにわたって会見していました。
その後の報道でこの関係を持っているとされていた暴力団関係者は、1人は元プロボクサーの渡辺次郎で、もう1人は当時山口組ナンバー4の筆頭若頭補佐で、山口組系極心連合会会長の橋本弘文であると報道されていましたが、
さらにその後の報道では、別の山口組大幹部で当時山口組ナンバー2とされていた弘道会会長の高山清司と見られる人物と肩を寄せ合って写った写真が「フライデー」に掲載されるに至っていました。
確かに思えばこの頃から急にテレビや報道などでやけに「コンプライアンス」という言葉を聞くようになり始めた気がします。
さて、ここまでは紳助の過去についてふれていきましたが
次のページでは皆さんも結構気にされてると思われる紳助の今、現在は何してるの!?
についてふれていきたいと思います。
《詳しい内容は次のページで紹介していきたいと思います!》
島田紳助の今にせまる!現在は何をしてる!?【画像あり】
さて、ここからは本記事の核心でもある
島田紳助の現在!今はどこで何をしているの!?
について触れていきたいと思います。
紳助は2019年11月現在63歳ですが、とても60代とは思えない体つきをしていてよく引き締まった体。体調のいい日に1時間程度、自宅でトレーニングしているそうです。
しかも、当時のオールバックのヘヤスタイルからは想像つかないロングヘヤーとなっているようです。
最近の週刊誌の取材で紳助自身は
「老後に必要なのは『お金と仲間と筋肉』と言うてるんです。この三つがあれば幸せに生きられると思ってます」
友人や引退後に新たにできた友人たちとともに
「クソガキみたいに遊んで過ごす毎日。今遊んでいる友達は一般人ばかりですし、もしヤクザの影があったら誰も僕に寄り付きませんよ」
生きがいなんていらない。日々楽しかったらそれだけでいい。
こんな感じで答えていたそうです。
『お金と仲間と筋肉』のうちお金と仲間までは納得しますが、3番目の筋肉というあたりは
紳助らしいというかちょっと人とは違った考え方なのかもしれませんが(笑)、言われると理解できます。
健康でないと筋トレなんかもできませんからね!
↓画像の右腕をご覧ください。結構太いですね、肩幅もがっちりしてます。
この最近の紳助の体格を見て、テレビでも数人の方がコメントしていました。
まずは宮根誠司さん
紳助についてコメントをしていて、
「島田紳助さんの肉体を見た。ちょっとしたレスラーみたい」
また板東英二のコメントでは
「今の紳助の体は蝶野正洋さんよりすごい」
筋肉ムキムキの松本人志も
「今、すっごいムキムキなのと言っている」と語っていました。
それでは、引退後の仕事や生活などにふれてみたいと思います。
引退後の紳助はどこで生活しているのでしょうか?
現役当時はこの写真の大阪府能勢町に建てた豪邸を拠点としていたそうですが
今もそこで生活しているのでしょうか?
実は紳助は沖縄、石垣島、ハワイなどを転々といったりきたり移動して暮らしているそうです。
↓ハワイで5000万円で購入したと言われるコンドミニアム
引退後の紳助は特に旅行のこだわりが強く、『紳助流旅の3カ条』と言うものがあるそうです。その3カ条については下記の通りです。
・行き先は国内外問わず
・思い立ったらすぐ出発
・旅の終わりは決めない
この辺から自由気ままに行動できてることがうかがえますね。
やはりお金がなければこうはならない気がしますが、羨ましい限りです。
こんな感じでいろんな場所に好きな時に行っているようです。
さらに気になる紳助の現在の仕事や収入はどうなってるのでしょうか?
紳助の現在の仕事や収入ですが、どうやら現在の収入は「0円」だそうです。
ただ、紳助といえば、飲食店や不動産の経営も行っており、その辺の収入が入ってきているのでは?と思ってしまいますが、実際には1円も貰っていないとのことです。
以前のデイリー新潮の取材でも紳助は
「お寿司屋さんとかやってますけど、1円ももらってませんから。
お店をしたかったから出資してる感じ。お給料もらったら、経営に関わらないとあかんでしょ?やから、なんにもしてないですよ」
と応じていたそうです。
ちなみに紳助が作ったとされる飲食関係の『はせ川グループ』ですが、これには6点の飲食店が名を連ねます。
・寿司 はせ川心斎橋店(大阪心斎橋)
・寿司 はせ川西麻布店(東京西麻布)
・京風鉄板 はせ川(大阪心斎橋)
・BAR HASEGAWA(大阪心斎橋)
・日本焼肉 はせ川銀座店(東京銀座)
・日本焼肉 はせ川表参道店(東京表参道)
があるようで、いずれもかなりいい立地条件のところに建てられた評判の良いお店のようで
とてもきれいなHPは今も閲覧可能な状態となっています。
これは私の推測ですが、紳助本人が店舗からの収入は0円だと言ってる関係から
これらの物件はプロデュースだけして、希望のオーナーさんなどにすでに売却済みなのかもしれませんね。
ちなみに大分昔に石垣島に構えたこちらのお店は現在売却中となっているようです。
このような感じで事業も展開したり、現役当時に稼ぎに稼いだお金が今現在だいたいいくらくらいあるのかとても興味が沸くところですよね!?
以前取材したとある芸能リポーターの話によると
「国家予算ほどではないが、県の予算くらいあるらしい」とコメントしていたので
1番財政の少ない県でも2000億円くらいはあると言われてますので、紳助もそれに近い金額を所有してるのでしょうか!?
島田紳助が芸能界に復帰する可能性について
こちらも皆さんが興味ある話題ではないでしょうか!?
芸能界を引退してから8年以上たちますが、ところどころで紳助の復帰を願う声も聞かれてきます。
こちらの画像のように200人のアンケートの中、なんと42人もの人が復帰を待ち望んでるようで、2位の安室奈美恵と倍ほどの差があるのにはびっくりですよね。
このように紳助復帰を期待する声が多くありましたが・・・
『実は本当にテレビ復帰する予定があった!?』
こちらの情報はすでに公にされていたようですので取り上げてみたいと思います。
実は「今年2019年8月25日放送(日本テレビ系列)の『行列のできる法律相談所』において紳助が8年越しに復帰することになっていた」そうなんです!
「24時間テレビ」放送後のスペシャルで、サプライズ生出演させ、それをもって禊(みそぎ)としようとしていたそうです。
紳助が引退会見を開いたのが2008年8月23日で、ちょうど丸8年というタイミングがちょうど区切りが良かったと話されていたようですが・・・
皆さんもご存じの宮迫博之と田村亮や数人の吉本興業所属の芸人たちによる『闇営業事件』が大々的に報道されてしまい、運悪く紳助の復帰の話は流れてしまったようなんです。
※宮迫博之関連についてはこちらに記事がありますので、興味がある方はご覧下さい↓
他にも紳助の復帰を匂わせる話があります。
お笑いタレントの上沼恵美子も2019年の6月13日自身がMCを務める読売テレビ「上沼・高田のクギズケ」に出演した際に紳助へ番組出演のラブコールをしていました。
内容は、「復帰しなくていいから、クズゲキだけ出てくれへんかな?1体1の対談しません?
よろしくお願いします。」と自分の思いを口にしていました。
この時以外にも上沼恵美子から昨年末の「M1グランプリ」直後の動画配信番組でも上沼恵美子は紳助へ復帰を促す言葉を発していました。
「西の女帝」と呼ばれる大御所タレントから投げられたボールに紳助はどんな反応を示すのでしょうか?
別の話ではデイリー新潮でのインタビューでも紳助は
「最近あったのはサイバーエージェントの藤田さん。テレビに出てほしいということで、
もちろん答えはNOなんですけど、会うことは拒否しないです。
答えがNOだとわかっているのに、来られたわけですよ。人としては興味あるじゃないですか」
とテレビ出演のオファーは断ったようですが、サイバーエージェント社長の藤田さんの人柄にかなり感動したようで、
「もしテレビに出るとしたら、AbemaTVに出る!」
と答えていましたので、今後AbemaTVで紳助を見る日が来るかもしれませんね!
その日がとても楽しみではあります。
島田紳助のまとめ
芸能界現役引退直前の「2009年と2010年好きな司会者TOP10」にも堂々の2年連続第1位を獲得していた紳助ですが
振り返ってみて、数多くいる名司会者をさしおいて、なぜ当初ここまで人気ここまで紳助は人気があったのか!?
よく言われていたのが、
「話が面白いのは勿論、しゃべる活舌がよく聞き入れやすい」
「楽しんで司会をしている。だから見る側も楽しめる」
「トークにムラもなく安定感がある」
「相手の魅力を最大限に引き出すマシンガントーク」
などと、騒動を起こし話題になっていた半面そういった好印象を受ける人達も多くいたタレントだったのはないでしょうか?
と、ここまで紳助についてとりあげてきましたが、他にも当時の女性関係の噂や家族のことなど他にも記事にとりあげておきたい部分はありましたが、
そちらはまたの機会に紹介していきたいと思います。
それではご視聴ありがとうございました!
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